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2011年11月20日日曜日

「放任」が人を育てるということ。

9ヶ月になる子供が、捕まり立ちを始めました。
で、立つことは出来ても座ることが出来ないきないので、
疲れてくると泣いてしまいます。

数日後、いつものように捕まり立ちをしていた我が子が、
足下を見てゆっくり座れるようになっていました。
立つことを繰り返すうちに、自分で座り方に気がついたんでしょうね。
これには驚かされました。


こちらは別件。最近ニュースで、
介護が必要な高齢者人材が働ける環境を作る企業が紹介されていました。

もちろん、軽度であっても介護が必要な高齢者の方なので、
働く傍らで、ヘルパーが常駐する必要があったりして、収支を見ると
当然赤字なのだそうです。

ですが、ここで働く高齢者の皆さんは、仕事を通じて能動的になり、
運動機能や脳機能が活性化され、以前より生き生きとしているそうです。


知っている人、出来る人がその事を「教える」ことが、
ひとつの教育スタイルとしてありますが、私自身この手法には、
あまり賛成出来ない。

出来る人が手を差し伸べてしまう分、その人の「考える力」を
奪ってしまう気がするからです。


この前twitterでも紹介しましたが、
世の中には、小学校のお受験に1000万近いお金を費やす親もいるそうです。
手編みのセーターが良い。ということで、他人に編ませたり。
体にフィットする服を。ということで、受験用の服をオーダーメイドしたり。

選ばれた環境で囲まれてしまっては、幅の広い人間になれない気がします。
いつまでも親が保護を出来るわけではないし。


私なら、その1000万円は、高校くらいから留学させたり、
一人暮らしさせる資金などに回してあげたい。もちろん強制するものではない。

ただ、同じ1000万円でも、その価値を理解し、
自身で行動の選択を出来るようになってから、チャンスを作る意味で使ってあげたい。
もしかすると、そんな援助も必要ないのかもしれない。
本気だったら、バイトなりなんなりすればいい。そこで身に付くことも必ずある。

大切なのは、「自分で決めて動く力」。
親は、つまづいた時に一緒に悩んであげるくらいでいいかなと。

これは、親子だけではなく、世間一般の上下関係にも通じる事柄かと思います。



はじめに書いた捕まり立ちの話でわかるように、
0歳児でも、教えられもせずに自分で解決策を見つけ出せるわけですから、
ある程度、「放任する教育」というのを考えてみるといいかもと思うわけです。